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山のアルバム バックナンバー 6



心に残った光景、季節の様子など、登山中のひとこまを載せています。
2011.2.5から2011.12.26までのデータを保存してあります。

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これ以降のデータは「山のアルバム バックナンバー7」に掲載しています。








気温は低いが、晴天が続いている。
土日は都合で出かけることもかなわず、この日も午後から用事があった。こんな日は近くて展望のいい山、「日の出山」だ。
山頂から見る景色は相変わらず豪勢だ。筑波山から横浜・房総方面までずっと見渡せる。
スカイツリーは言うに及ばず、昔と比べると高層ビルが目立つようになった。新宿周辺だけでなく、郊外にも竹の子のように芽を出している。
平日の早朝、行き帰りも、山頂でも人に出会わなかったが、元旦はここも登山客で満杯になるのだろう。
(11.12.26)
※思えば昨年の同日にもここに登り、しかも同じような写真をアップしている(「山のアルバムBN5」10.12.26参照)。ついに焼きがまわったらしい。









冷え込みの厳しかったこの日、石尾根を日陰名栗峰から千本ツツジまで歩く。
稜線伝いが一番のおすすめだが、今の体調では登返しはきつい。休み休み、息を切らさぬようにゆっくり歩を進める。
冷え込んだ空気のせいで、南アルプスの稜線がが北から南まですっきり見渡せる(写真上)。あれにくべれば石尾根なんてちょろいものだと強がりのひとつも吐きたくなる。
日陰名栗峰の近くではニホンジカの雄の成獣を見かけた(写真左)。
「なにトロトロ歩いてやがるんでぃ」と言われているような気がした。
(11.12.17)








雁ガ腹摺山を目指して大峠に向かうも、林道が途中で通行止め。改めて高速に乗るのもつまらないので、近くの高川山に転進。
空は快晴で申し分ない。気温は低かったが、風もなく肌寒さはないので、ビッキーを偲びながら山頂で1時間ほど過ごす。
富士の姿が嫌でも目にとびこんでくる。裾野を大きく広げ、頭に雪を載せた富士山は周りの山々とは全く異質な存在だ。周辺の山はほとんどが1700m前後、高くても2000mに達する山はない。
もし富士山が山塊の奥にある3376mの高いだけのピークなら、日本を象徴とする山にはならなかっただろう。反対に平地の中に大きく裾野を広げただけの山であっても、それでは面白味に欠けるだろう。周囲に適度な高さの山があるからこそ、遠くからではその裾野を見ることもできず、ありがたみも増すというものだ。周りの低い山々が都合よく富士山の引き立て役になっているとも言えそうだ。
その低い山々のどてっぱらをリニア実験の線路が串刺しにしている。ここから見ると九鬼山が針を刺し込まれたようで、なんだか痛々しい(写真下)。
(11.12.13)












本仁田山を奥多摩駅方面からのぼる。駅から900m、登山道の取り付きからでも700mの標高差があり、急登が続く。天城山ですらバテバテになってしまい、自信を喪失していた。だからあえてここを選んだ。
結果的には逆効果。休み休みでしかないと登れない。かえって自信をなくすことになった。
小休止するたびに、周囲の景色ながめて気を紛らわせる。紅葉はほとんど散り果ててしまい、代わって今まで木の葉に遮らられていた風景が木の間越しに見える(写真上)。
左上から時計回りに鷹巣山・富士山・相模湾丹沢山系。富士山は山頂からでも見られるが、他の3つは山頂からだと見ることはできない。
山頂は東側が開けていて、筑波山からスカイツリーや新宿の高層ビルまで一望のもとに見渡せる。この日は快晴で、抜けるような青空が広がっていた(写真下)。
(11.12.4)






海と






予報では晴れのはずだった。確かに、伊豆半島も海岸線では陽が出ていた。
しかし海が近い天城山、特に一・二を競う万三郎・万二郎岳では雲がかかりやすいのだろう。尾根筋から山頂周辺は見通しが悪かった。
いきおい近場の景色に視線をはわせることになる。
天城と言えばアマギシャクナゲが有名だが、もちろんこの季節に咲いているわけはない。せめて木立だけでもと思って見たが、万二郎岳山頂や稜線ではシャクナゲよりアセビがやたらと目についた。上写真左上はアセビのトンネル。
万三郎岳山頂ではブナの林(上写真右上)や根っ子(上写真右下)が見事だった。
北面の巻道にはヒメシャラの林も見られた(上写真左下)。
万二郎岳の下りしな、なんとか雲の合間に海を望むことができた(下写真)。
(11.11.16)









赤杭尾根を伝って川乗山に登る。何年ぶりだろうか、この尾根を歩くのは。
三ノ戸山近辺(写真下)ではまだ青々していた楓の葉も、エビ小屋山を過ぎたあたり(写真上)では見事に紅葉し、狼住所(オオカミズンド)あたりから上ではすっかり落葉していた。
そういえば、かつて真名井沢方面から赤久奈山近くまで登って来ていた林道が、すでに尾根上に達し、登山道を巻き込んでいたのは意外だった。
天候に恵まれた日曜日とあって、川苔山の山頂はたくさんの人出でにぎわっていたが、赤杭尾根で出くわした登山者は一人だけだった。長いばかりではない、魅力ある尾根だとは思うのだが……。
(11.11.13)














上の写真をよく見てほしい。木立の根元が赤く染まっているのがわかるだろうか?
人気のない山中で惨殺れた被害者の血糊の跡……と思えなくもない朱色。
足元にも中空にもある紅葉が、水墨画にたらした一滴の朱墨のように色鮮やかだった。
釈迦ヶ岳登山道にて。
(11.11.8)








日本列島全体が安定した高気圧に覆われ、確実な晴天が期待できた。
風もなく、この時季にしては気温も高め。
気象が変わりやすい上越国境沿いの山々も、この日は優しく迎え入れてくれるだろうと思い、急遽出かけることにした。
はじめは冷え込んでいた山間部も太陽があがるにつれて、汗ばむ気候になってきた。もちろん山上では、「登るにつれて」というオプション付きだが……。
仙ノ倉山に連なる荒々しい稜線も奥まですっきり見渡せる(写真上)。
トマノ耳の彼方には富士山もかすんで見えていた(写真下)。
(11.11..1)










奥多摩では2回天気予報に裏切られたが、今回は文句なしの快晴。
東日原からヨコスズ尾根を伝って三ッドッケに登る。
ハナド岩から見た富士は頭二分の一ぐらいだったが、ここからは裾をひく姿も拝めた。
(11.10.27)












奥多摩ではこのところ霧にたたられる。気象情報では良好のはずだったが、裏切られることたびたびである。
稲村尾根を使って鷹巣山に向かい、石尾根を下る。もともと曇りがちだったが、1500mを越したあたりから霧がかかってきた。視線も近景や足もとに限られる。
まだ早いかなと予想していたが、紅葉は少しずつ開幕していた。
(11.10.18)






大持山・子持山を経て武甲山に登る。
妻坂峠のあたりでは霧がちであった空も、大持山に至るころには完全に晴れていた。
小持山・シラジクボを経て武甲山に着く。
山頂からの展望は秩父市街を望む雄大なものだが、石灰岩の切り出しのために人工の絶壁となった足もとの風景は痛々しい。採掘現場を取り囲む鉄網も興ざめである。
(11.10.12)






気象情報では晴天のはずだった。乾いた空気に覆われ見通しもよいく青空も望めるはずたった……のに。
1500mを越したあたりから霧が出始め、石尾根はご覧のとおりだった。
霧が晴れたときの一瞬の眺望を期待していたが、それもかなわず。
雲取山山頂は12度になるかのならないかの気温。寒さにこらえきれず、早々に山頂をあとにした。
(11.10.1)









日帰りできる北アルプス、焼岳に登る。
かつて槍・穂高に登るために何度も通った上高地が足もとに広がる。
手をのばせば届きそうな位置に穂高山塊が見える。奥穂高岳や槍ヶ岳は残念ながら雲の中だ。
いつかは雲が切れて望めるようになるだろうと待ち続けたが、ついに槍・穂高は姿を現さなかった。
(11.9.27)








こういうのを「杓子定規」と言うのだろう。

先日ご紹介した鷹巣山の個性的な標識(当ページ11.8.30参照)が撤去されていた。
山で案内板や標識を勝手に設置することは、遭難にも結びつきかねない危険をはらんでいる。しかしそんな恐れもなく、しかも本来の標識の役割をいささかも損なってもいない(もともとの設置場所が、当初から「遠慮がちに、標識の下部にくくりつけられてい」たのだとすればだが……)ものを撤去に及ぶことはないだろう。
「法定外」の標識は奥多摩にもたくさんある。いわゆるYUIさんの標識が有名だ。味のある木彫りの文字は(東京都が標識を設置しない)マイナーな山頂にもまめに据えてある。他にも檜原の浅間尾根で個性的な標識を見かけたこともある。確認の意味で利用させてもらったり、楽しませてもらったりした。
東京都は一罰百戒を狙っているのだろうか。それとも、「こんなものを放置しているとは何事だ!」と責任を追及されるのを恐れたか。
「スカートの丈が伸びるのは非行への一里塚」、「悪の芽は若いうちに刈り取れ」とばかりに撤去要請をしたか。いずれにせよ過剰反応と見える。
何でもかんでも管理すればいいわけではない。見て見ぬふりをするのもひとつの見識ではないか。
余裕のない社会には明るい未来を期待できない。撤去という四角四面の方法ではなく、もう少しましな方法はなかったものか……。
(11.9.24)








高川山のビッキー、亡くなったのは昨年の10月6日だった。あれからはや1年が経とうとしている。
いつのまにか僕の中でビッキーと高川山は切り離せない存在になってしまっていたから、亡くなって以降はこの山になかなか足が向かなかった。そろそろ1年目というこの日、天候も良好という予報を受けて出かけることにした。
初狩駅で下車するとシトシト雨が降っている。ビッキーの眠るという自徳寺が登山道の途中にあるので、せめてそこまでは行ってみようと駅を出る。
ネット情報だと、境内の銀杏の木のふもとに眠っているという。小さな石が目印においてある写真も見た。いかにもビッキーの墓らしいと好ましく思ったが、行ってみて驚いた。小さいが立派な墓碑が経っていた(写真左下)。そのおもてには在りし日のビッキーの姿まで刻まれている(写真左上)。ビッキーを思う気持ちがここまでさせたのだろうが、思い入れを嬉しく思う反面少し複雑な気がした。
今日はここまでで帰るつもりでいたが、何か居心地が悪く、雨をついて登ることにした。
山頂にはビッキーの面影を残すものは少ない。亡くなった当初は、ビッキーが水を飲んでいた茶碗やら、供えられた花もあったようだ。しかし今は、ビッキーの死亡を告げる新聞記事のコピー(写真右上)と、写真や書き込みをしたノートを収めた祠?(写真右下)があるのみ。
うん、この程度でいい。いつかはこれらも無くなる。手を合わせることもなく、田野倉方面に下山した。
折しも今日は彼岸の中日だった。
(11.9.23)







夏草の生い茂る御前山山頂。
何年か前に立木が切り払われた北面も見通しが利かなくなっている。以前は三頭山が見渡せた西のベンチも、今は樹木が生い茂って何も見えない。少し下った北側の岩場も奥多摩湖や六つ石山が眺めるには不向きとなっている。
冬になるまで待つしかないとすれば少し悲しい。
(11.9.15)







川苔山に登る途中、立ち寄った。
台風の影響による雨で水量も多く、豪快な瀑布が見られた。
山頂に至る登山道でも小沢の水は豊富で、飲み水に困ることはない。もっとも、谷沿いの道であるため空気が涼やかで、のどの渇きもあまり感じないのだが……。
稜線に出たとたん、残暑の日差しが待ち構えていた。
(11.9.10)








台風12号の影響がなくなった7日、富士見新道を使って大菩薩に登る。
前日までの雨で笹が濡れ、靴の中まで水滴がしみてきて、いささか心地が悪い。そのせいもあったのか、途中で道を間違え賽の河原に出てしまう。そもそも富士見新道自体が廃道に近くなっている。
上の写真中央に見える岩尾根が本来登るはずだった神部岩に至るルート(賽の河原近くの笹原より)。
稜線からの展望は申し分なかった。南アルプスがすべて見渡せる(写真下)。
久々の晴天で心が洗われるようだった。
(11.9.7)






ひとりで山に行くのは久々だった。
体力には自信がなく、健康にも心配がないわけではない。それが理由ではなかったが、このところ連れがいる登山が多かった。
そんなことを繰り返していると、今度はひとりで山に行くことが不安になってくる。
以前は山に一人で出かけるのは当たり前だった。
台風が迫り、その影響が出る前の最後の好天をねらって、思い切って出かけてみた。
息切れをしないよう、ゆっくり慎重に足を運ぶ。2時間以上かかったが、無事鷹巣山の山頂に着く。
山頂にある本来の標識の下に、個性的な標識が結び付けられている。今年の夏につけられたようだ。
絵柄が楽しい。描いた人の人間性がしのばれて、好感が持てた。遠慮がちに、標識の下部にくくりつけられているのもよい。
ゆっくり登ったたせいで疲労も少なく、時間もまだ早かったので、さらに日陰名栗峰まで足を延ばした。
(11.8.30)







「ござやま」だと思っていたが、実は「おぐらやま」と読むらしい。長野県南佐久郡北相木村に山頂はあるが、南相木村の登山口から入る。
先日の息苦しさを反省して、今日は超スローペースで登る。後から登ってきた山ガールたちに追い越されながら……。
やっと登りつめた祠があるピークは本当の山頂ではない。ここから金山沢のコルまでいったん下り、再び登り返した岩山が頂上だ。
見上げる岩山までは20分ほどだったが、この時は気持ちが萎えそうだった。
(11.8.15)








大弛峠に車を止めて奥千丈岳・国師岳近辺を歩き回る。
いや、「歩き回る」というのは正確ではない。「喘ぎながら」というのが実感に近い。
奥千丈岳はこのあたり(奥秩父山塊)では最も高いとはいえ、階段も整備されていて歩きやすく(?)、標高差も300メートルにも満たないのに……。
自分の体の中で、何かが変化してきている。4年前の山行で感じた不安がよみがえるが、今はこの体と付き合っていくしかない。
2500メートルを超す山頂は、下界の酷暑を忘れさせる清涼感がある。空も雲も吹き渡る風も、コメツガのヤニの香りさえも体を浄化してくれるように感じる。
(11.8.11)







箱根山外輪山の一角にある金時山に登る。
「マサカリかついだ金太郎〜」の歌にあわせて山頂には写真撮影用のマサカリがあり、「天下の秀峰金時山」の立看もそびえていた(もちろん写真には入らないようにした)。富士山もいささか迷惑気味。
この金時山、実は外輪山ではなく、「古箱根火山の山腹から出た寄生火山(側火山)」(ウィキペディア「箱根山」より)だそうだ。
当日は巨大な台風が日本列島に近づきつつあったが、天候もなんとか持ち、登山客も次々に訪れていた。
登山者が写り入り込んだため、あえて画像を小さくした。
(11.7.18)








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梅雨明け初日、友人の誘いのもと、一か月ぶりに山に出かける。
千足から馬頭刈尾根のこのコースは、途中に滝があることからも分かるよう急登の連続となる。
早朝の杉林で光のシャワー(光芒)を浴び、次は本物の滝だ。
小天狗滝・天狗滝(写真中)・綾滝(写真左)を眺める。涼気が汗ばんだ肌に心地よい。
滝を経た後も、さらに登りは続く。目的地の大岳に至る前に、この登りで一日の大半の汗をかいた。
富士見台に着いた時には、上半身が誇張ではなくシャワーを浴びたようになっていた。
(11.7.10)






笠取山から雁峠方面にかけてなだらかに広がる風景はすっかり新緑に覆われている。
たおやかなこの地形は横たわる女体のようにも見える(僕だけか……?)が、実際に歩いてみると思いのほかの標高差に泣かされることもある。けっして穏やかでも優しくもない。
すぐに息も上がり、足も重く感じられる今日の体調では、気軽に足を延ばすことはできそうにない。
(11.6.9)










鍋割山からの展望は随一だ。関東平野が一望のもとに見渡せる。
そのはずだったが、東京が夏日の気温になったこの日、山麓の景色がかすかに見渡せる程度。
ツツジの鑑賞と引き換えか……。
(11.6.4












関東地方が27日に梅雨入りしたとの発表が気象庁からあったが、それ以前から湿りがちの天候が続いていた。
31日、温帯低気圧に変化した台風が通過した翌日、久々の晴れ間を期待して日の出山に出かけた。平地では日差しがあったものの、山に近づくに従って厚い雲に覆われだした。降らないだけましか……などと自分を慰めながら登る。
平日の昼間、しかも梅雨時だ。さぞ静かだろうと思っていたが、山頂に近づくにつれて上のほうから賑やかな声が降ってくる。子供たちが平日に山に登っているわけもなし。さては「ざしきわらし」……山だから「やまわらし」か!?
もちろんそんなわけはない。山頂は小学生の敷くレジャーシートに占拠されて足の踏み場もないくらいだった(トップページ写真)。
雨で順延されたのか、それとも日ごろの行いよく天候に恵まれたのか、遠足で来ていた小学生たちは、肌寒い山頂でも元気に跳ね回っていた。
(11.5.31)







山で鳥の姿をレンズにとらえるのは難しい。何度も失敗している。その点これは確実だった。
浅間嶺を目指しているときに見かけた。杉林の木の根元に無防備に並べられている7つのタマゴ。形も色も鶏のタマゴに似ているが、それよりひと回り以上小さい。もしかしたら抱卵を放棄したものか。
登山道からも近く、他の動物の餌食にもなりやすい。おせっかいながら、近くの杉の葉を掛けてカモフラージュしておいた。
時坂峠のうどん屋の親父さんに聞いたら、ヤマドリのたまごではないかという。ヤマドリは肉もタマゴもおいしいそうだ。
惜しいことをしたのだろうか……。
(11.5.2)








岩殿山から稜線沿いに歩くと、最後のあたりになって急に視界が開け、この風景が現れる。
稚児落とし、山歩きのフィナーレを飾るにはなんとも恐ろしい名前だ。
この岩壁の稜線はL字型になっていて、撮影しているこの場所も向かいほどの高さはないが足元はけっこうな絶壁になっている。どちらの側も切り立っているがゆえに、稜線に立っているときは下が覗き込めず、それほどの高度感はない。
(11.4.21)









膝の具合が悪く、しばらく山から遠ざかっていた。
この日、山梨の桃源郷に行った帰りに、柳沢峠からハンゼの頭をめざした。
足慣らしにはちょうどいい山だ。
春霞にかすんでいたが、富士山も金峰山も望むことができた。どちらも白い雪をまとっていた。

(11.4.17)







四阿屋山は、駐車場から40分あまりで山頂まで到達できるお手軽な山だ。
山頂からは、両神山や双子山など特徴的な山容を持つ山を望むことができる。
間近に見える両神山は、ごつごつした山肌にうっすらと雪をまとって迫力をもって迫る。
「ここまでおいで!」と挑発しているように見えたのは、僕のひがみか……。
(11.3.10)








平日の高尾山に登る。人はもちろん少ない。
電車の中では都心に向かうサラリーマンや学生に囲まれていたのに、ここに来てしまうとそれが嘘のようだ。
途中の稲荷山から新宿方面を望む。多摩丘陵の向こうに、それはホリゾントのように浮かび上がっている。これから一日の活動が始まるのだという現実感を欠いて……。
(11.3.3)








仏果山から、かつて登ったことのある丹沢山塊を眺める。
ここ仏果山には鉄製の展望台がある。向かいの取山にもあって、いずれも丹沢山塊が望める。もちろん江ノ島が浮かぶ相模湾もよく見える。
道志や宮ヶ瀬から丹沢に取り付いたことが何度かある。宮の平馬場から丹沢山へ、焼山方面から蛭ヶ岳へ。いずれも長いルートだった。
双方のコースにある高畑山・焼山にも展望台が建っていた記憶がある。
丹沢ばかりでなく、相模平野や東京方面を眺めるのに適しているだろう。
それにしても、「仏が果てる山(仏果山)」とか、「仏を尊ぶ山荘(尊仏山荘)」とか、仏にまつわ固有名詞が多いのも丹沢の特長か?
(11.2.25)









雪が降ると落ち着かなくなるのは、なにも子供や犬ばかりではない。大人、とりわけ山好きの大人は家になんかいられない。条件さえ整えば、心も体も山に飛んでいく。新雪に自分の足跡をつけようと……。

15日は未明まで雪が降っていた。われらに許された条件で行ける山として選んだのは、日の出山。山頂近くは所によって30センチほどの積雪。湿雪のため、雪そのものの重さや、樹上からの落雪に苦労させられた。特に大塚山の巻き道にはトレースがなく、膝下のラッセルとはいえ(好きで出かけてきたとはいえ)、年相応にきつさを感じた。
この日はケーブルカーが止まっていたので静かな山歩きを楽しめたが、功罪相半ばという感じだった。

御岳平では、雪の溶けかかった枯れ葉の中を餌を探して飛び回る鳥がいた。目の周りの白いラインが特徴的だ。
ビジターセンター作成のガイドを見たら、「ガビチョウ」とう鳥らしい。なんでも外来種だとか。こんな雪山にまでわざわざ来なくてもいいのにと思ったが、人様のことをとやかく言える身分ではない。
(11.2.15)






今年も宝登山のロウバイを見に来た。
西ロウバイ園の花は、あたかも見頃であった。
梅にウグイスではないが、ロウバイの小枝にルリビタキらしき小鳥を発見。
黄色と青の対照は、ロウバイと青空ばかりではなかった。
明日は雪が降るらしい。黄色と白のコントラストが見られるのだろうか。
(11.2.10)








引っ越しがあり、その準備や片付けで1ヶ月あまり山に行かなかった。
行かなかった理由はそれだけではない。体の具合にも自信がなく、以前のようには歩けないという弱気が山行をためらわせていた。
時間はかかったが、この日も山頂には到達できた。しかし、自信が回復したということはなかった。むしろ自分の体と対話しながら、だましだましという感じで登るべきだということを再認識させられた。
昨年から引き続く乾燥注意報が出ていたこの日、棒ノ折山山頂もカラカラに乾いていた。山頂の土は水分がなく、霜柱さえも生えない。踵を引きづると白い土ほこりが舞い上がった。
(11.2.5)

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