心に残った光景、季節の様子など、登山中のひとこまを載せています。
2006.1.1から2007.6.27までのデータを保存してあります。
これ以降のデータは「山のアルバム バックナンバー3」に掲載しています。
上 |
僕の本格的な登山は、体を壊してから始めた。 奥多摩で足慣らしをした後、富士山を登ることからだった。 そのあとは北岳、次が穂高。 早い話、高い順に登っていたわけだ。 上高地には何回来ただろうか。 いつも大きなザックをかついで山に向かった。 単なる入り口に過ぎなかった上高地。 今回はほとんど空身。 明神まで往復した。 それでも、横尾まで行って来たように疲れた。 心臓は、緩い坂道でもはじけそうだった。 しばらく休むことにします。 (07.6.27) |
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日 の 出 |
治療が延期になり、、またまた時間ができた。 今度はどこに行こうかと考えた。 またしても、車で。 富士山、須走登山道の新五合目。 ここの駐車場は、何回か日帰り登山の発着点にしたことがある。 山頂を目指した時は暗いうちに出発し、六合目あたりで日の出を迎えた。 その時、駐車場では満天の星空が僕を見送ってくれた。 今回は、ここで日の出を見るのが目的だった。 期待していた雲海こそなかったが、山中湖の上から登る燃えるような朝日が望めた。 その光景は、過去に幾たびか見た山頂での日の出の記憶と重なった。 (07.6.24) |
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大
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病気が治ったわけではなかった。 ただ、山に行きたかった。 その背景となる深い青空を胸に納めたかった。 友人を誘い、入笠山に出かけた。 もちろん、車で。 入笠山もこの時季(鈴蘭の季節)、土日だけは車の入山規制をしている。 運良く規制の7時30分前に着いたので、林道に車を乗り入れることができた。 病気が回復しているわけではないので、山には登れない。 だが、湿原なら歩くことができる。 早い時間だったので、日陰は肌寒かった。 梅雨入りしたというのに空はあくまでも青く、ハケでひいたような雲が飛んでいた。 まるで秋のようだ。 自然の中にいると、自分が病気であることさえ忘れてしまう。 忘れても、受け入れなければならない現実だが……。 (07.6.17) |
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持 病 |
12月末・2月中旬・3月末と、山行が月に1回以下となっている。 こんなことはかつてなかった。 身内が亡くなったり病気になったりで、ほとんど山に行けなかったこともある。 自分の体がきつくなったのもある。 膝も少々痛い。 それでも、久々に山に出かけた。 峰谷奥の部落に車を停めて、浅間尾根を登る。 ゆっくりゆっくり、休み休み歩く。 頂上はまだ遠い。 どんな人でも、ゆっくり登れば山頂に着く。 これが山の良さだ。 競争ではない、自分のペースで登ればいい。 この日も、なんとか山頂に達することができた。 その後、持病の悪化が判明した。 「やっぱり」という気がした。 しばらくは、もしかしたら永遠に山に行けなくなるかも。 「山のページ」をご覧に頂いた皆さん、ありがとうございました。 悪運が強ければ、また再開できるかもしれません。 それまで、このページをしばらく休止します。 (07.3.28) |
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升 ヶ 滝 |
しばらく山に行けなかったので、足慣らしを兼ねて升ヶ滝を見に行く。 水量が少なく細かったが、途中に釜をもつ2段の滝だ。 滝見のあとは岩茸石山・高水山と足をのばしたが、息が上がり、休み休み歩いた。 持病の悪化か、単なる年のせいか、体の中で何かの変化がおきている気がする。 (07.2.12) |
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大 ダ ワ 周 辺 |
川苔山から本仁田山へ向かう。 以前はこんなことなかったのに、息も上がり足も重い。 大ダワから登りになる。 川苔谷の枝沢「逆川」を覆う山肌の木々は葉を落とし、梢がむき出しになっている。 冬を迎える谷の光景は本来なら寒々しいはずなのに、光のかげんか暖かさすら感じられる。 ふと振り向くと川苔山の南面は人工的な様相となっていた。 鹿が「真犯人」とされる崩壊した斜面は、医療処置を施された人工の皮膚のようだ。 寒々しさはむしろこちらのほうだ。 崩壊したなら崩壊したままの方が自然だと感じるのは私だけなのだろうか。 (06.12.24) |
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大 滝 |
大岳沢林道の終点からすぐの所にある大滝。 佛沢の滝の完全凍結は話題に上るが、こちらの凍結はいつ頃なのか。 今年は何度かのぞいてみよう。 (06.12.16) |
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斜 光 |
山の友人からの又聞きである。 ある高名な山岳写真家によると、山の写真を撮るには快晴は不適だそうだ。 むしろ、天候が下り坂か、反対に回復する頃のほうが良い被写体を得られるとのこと。 その言を信じて、回復傾向の天候のなか、鷹巣山に出かけてみた。 天候の回復は思いの外進まず、雲はいつまでたってもきれなかった。 それでも、朝夕にしか見られない斜光が雲の間から差し込み、この時間帯にしては貴重な光景を見ることができた。 (06.12.10) |
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大 菩 薩 嶺 |
南プスも眺めるだけの山になってしまった。 富士を見るにはここと、1ヶ月ぐらい前からねらっていた。 やっとチャンスが巡ってきた。 残念ながら富士はほとんどが雲の中だったが、南アルプスは比較的よく見えた。 この日はまだ林道が開放されていたが、あと1週間遅ければ上日川峠まで車で来ることはできなかっただろう。 その意味では二重にラッキーだった。 (06.12.4) |
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冬 の 便 り |
木枯らし1号が吹いた。 山にも冬の便りが届いた。 霜柱、薄氷、つらら。 遠く国師ヶ岳はうっすらと雪をかぶり、笠取山にもわずかだが雪が舞った。 (06.11.12) |
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石 尾 根 縦 走 路 の 紅 葉 |
石尾根の秋は早い。 稜線(写真上)ではすっかり散り落ちてしまった紅葉が、巻き道(写真下)ではまだ最後の輝きを放っていた。 (06.10.29) |
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雲 取 山 |
雲取山の山襞に雲が湧いていた。 まさしく、「雲取山」? 鷹ノ巣山より。 (06.10.28) |
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ニ
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ニホンジカは駆除の対象になっているが、これは特別天然記念物に指定されている。 たいした格差だ。 眠たそうな目元に、なんとも親近感をおぼえる。 入奥沢にて。 (06.10.28) |
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雲 の 季 節 |
山よりも雲を撮りたい季節となった。 三頭山から東に向かってたなびく雲は、奥多摩湖を越えて石尾根の先まで広がっていた。 (06.10.15) |
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お 初 |
奥秩父の古礼山に登る。 山が染まるほどの紅葉はまだだが、木によっては見事に色づいているのもあった。 思いがけず、今年初めての紅葉を楽しむことができた。 お初といえば、そのお姿は高山でしか見られないものと思っていたが、こんなところでお会いできるなんて、ホシガラス(星烏)。 雲取でも目撃の証言(「奥多摩の山と自然」画像掲示板)があるから、ここにいても不思議ではないが……。 (06.10.9) |
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台 風 一 過 |
台風が去った。 |
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緑 の ト ン ネ ル |
長沢背稜を日向沢ノ峰から蕎麦粒山まで歩く。 日陰だと涼しすぎるくらいの季節になった。 あとひと月もすれば、ここも錦繍のトンネルとなろう。 (06.9.24) |
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ム ロ ク ボ 尾 根 |
ムロクボ尾根を登るのは1年半ぶりだ。 三頭山に至る尾根の中では、標高差があり時間もかかるが、好きなルートだ。 ツネの泣き坂を上ったあたりからブナの大木が林立しているのもよい。 この中に、「尾根のの主」と勝手に呼び習わしている大木がある。 当たり前だが、今日もどっしりと尾根に根を張っていた。 (06.9.16) |
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爽 快 |
都心は30度を超す暑さだったようだが、山では日陰に入るるとひんやりとして心地よかった。 日差しがある稜線歩きでも、湿度が低く爽快な気分で歩くことができた。 空の青も、夏から秋のものに変わっていた。 (06.9.10) |
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す じ 雲 |
西御殿岩に登る。 和名倉山の麓からは層雲が沸き立ち、遙か上空にはハケtで引いたようなすじ雲が光っていた。 高層はすでに秋の装いだ。 (06.9.2) |
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五 丈 岩 |
金峰山の五丈岩を見たくなった。 奇岩といえば、国道20号と釜無川を挟んで南西には地蔵岳のオベリスクがある。 しかし、地蔵岳にはアクセスが悪い。 それに引き比べ、ここ金峰山は大弛峠から2時間もかからない。 日中の日帰り登山にはうってつけだ。 少々後ろめたさを感じながら車を走らせた。 山頂近くにはハイマツもあり、気分はほとんど北アルプスだ。 (06.8.25) |
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硫 黄 岳 山 頂 |
河原のようなこの風景が山頂だなんて、行ったことのない人はにわかには信じがたいだろう。 (06.8.14) |
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八 十 八 大 師 |
三ッ峠登山道にある石仏群。 文久期(江戸時代後期)に近郷の信者によってもまつられたものという。 大師とは弘法大師のこと。 八十八は四国札所の数と同じで、それを倣ったもの。 登山道口には達磨石というダルマの形に似た石造物がある。 三つ峠が修験密教の山であることを物語っている。 (06.8.11) |
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大 雲 取 谷 の 怪 |
夏なので、怪談話(?)をひとつ。 4年前の10月、友人と2人で雲取山に登った。 野陣尾根を使って登り、帰りは大ダワ林道を下った。 大ダワ林道は、大雲取谷に沿ってつけられている登山道だ。 長沢谷で日原川の林道に接続する。 登山道からは急な斜面が谷に向かって落ち込み、はるか下の方を川が流れている。 大ダワ林道を歩き始めてまもなく、下の川の方から子どもの声が聞こえてきた。 木の間越しにのぞき込むと、白い服を着た小学校低学年と思われる子どもが2・3人、岩の上にのったり川の流れに浸かったりして遊んでいる。 白い服がはためき、まるで蝶が舞っているように見えた。 流れは激しくないので危険はなさそうだったが、川までは急斜面を下降しなければならない。 近くに大人がいるのだろうと思って、歩きながら下の方の様子をうかがっていたが、それらしい人影は見えない。 川に下りられそうな緩斜面も近くには見あたらない。 下りたような形跡もない。 長沢谷との出合から遡行してくることは不可能だろう。 2人でいろいろな可能性を話しながら登山道を下ったが、自分たちを納得させるだけの理由づけは得られなかった。 可能性のひとつには、もちろん幽霊説もあった。 今回を含め、あれから何回か大ダワ林道を利用したが、それ以降子どもたちの姿を見かけたことはない。 (06.8.6) |
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ブ ナ ・ 幻 想 |
梅雨明けは未だ。 好天を期待して三頭山に登ったが、山頂付近は霧に包まれていた。 山は1ヶ月ぶりだ。 疲れていたせいか、ブナの巨木が歌っているようにも、舞っているようにも思えた。 (06.7.29) |
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稜 線 |
中岳を越えて阿弥陀岳へ続く稜線。 山歩きを始めた頃、中岳を越すのがしんどかったが、この日は昔日のきつさが蘇ってきた。 それでも、奥多摩では見られない岩と草ばかりの稜線を飽きずに眺めていた。 (06.6.4) |
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ル リ ビ タ キ |
水源巡視道を歩く。 小鳥にとっても恋の季節なのだろうか。 森のあちこちでさえずりが聞こえる。 しかし、そのほとんどが姿を見せない。 目撃できたのは、左の写真とコガラぐらい。 下のはルリビタキで間違いないと思うが、上のはルリビタキの雌とするのは誤っているだろうか。 (06.5.21) ※正解はソウシチョウ(相思鳥)という外来種でした。 「山のアルバム バックナンバー12」の「さえずりに助けられて」参照 |
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山 中 泊 |
山の中で泊まるのは、4年前の正月、八ヶ岳でテントを張ったとき以来だった。 山の中で泊まれる滅多にないチャンスがめぐってきた。 ところがゴールデンウイークのまっただ中。 山小屋は避難小屋も含めて満杯、道路も大渋滞だろう。 近場のテント山行しかない。 というわけで、通い慣れた雲取山に行くことにした。 山で夜を迎え、山で朝日を拝む、それだけで充分だった。 昼間では出会えない景色が待っている。 山でひとり呑む酒はうまい。 1日目は、風景も撮らず自己陶酔していた。 朝一番、滝雲が大菩薩連嶺を流れ落ちていた。(写真上)。 テントをあとにしたのが遅かったので、山頂で日の出は見られなかったが、「影雲取」が飛竜山に向かってのびていた。(写真中) 山頂からはシルエットになった山並を望むことができた。(写真下) (06.5.4) |
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雪 形 |
雲取山に登った。 きついのは相変わらずだ。 疲れきって、ふと見晴るかした大菩薩の北面に鶴が舞っていた。 (06.4.1) |
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稲 村 岩 尾 根 |
先週に引き続き、稲村岩尾根を登る。 前回は、息も絶えだえに登ったうえに、下山時には両脚がつるというおまけまで付いた。 鍛えてどうなる体ではないけれど、何となく宿題をもらってしまったような気がした。 今回も死にそうな気分で登ったが、つった脚は右だけだった。 (06.3.25) |
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コ ガ ラ |
稲村岩尾根を登る。 今の体調では鷹巣山にたどり着かず、途中で戻ることも想定していた。 それでも、だましだまし登りつくことはできた。 下山時、コガラ(小雀)の群れを見かけた。 山肌を自由に飛び回るコガラが、少し羨ましくもあった。 (06.3.18) |
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御 前 山 |
里の雨は山では雪だったようで、御前山から三頭山に至る尾根には一筋の白い路がひかれていた。 それでも、南面では暖かな陽ざしを浴びて湯気が立ちのぼっていた。 春はすぐそこまで来ているようだ。 (06.2.25) |
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武 甲 山 |
南から尾根伝いにやって来た者は、山頂で唖然とする。 山が足下から消えている。 秩父の市街が海の底のように横たわる。 消えた山は何処に行ったのか。 耐震偽装マンションとなり、 六本木ヒルズとなり、 偽りの繁栄と、つかの間の快楽のために、 山は売りとばされた。 傷つけられた体を秩父の街に晒しつつ、武甲山は今日も立ち続ける。 【写真上:北面(秩父市街方面) 写真下:南面(小持山方面)】 (06.2.11) |
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三 頭 大 滝 |
氷は水流を完全に制圧したように見えた。 しかし、氷の裏側ではひそかに水が流れていた。 三頭大滝、全面氷結。 (06.2.4) |
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花 金 |
陽ざしのない斜面を登って、やっと明るいところに出る。 あと一歩で山頂。 山頂もいいが、直前のこんな雰囲気も捨てがたい。 日曜よりも、むしろ金曜の夜が好ましいのと似ている。 天気もよく暖かかったのに、今日はすぐ帰らねばならなかった。 棒の嶺にて。 (06.1.29) |
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氷 瀑 |
氷は天に昇ろうとする。 水は、そうはさせじと氷を足蹴にする。 すがるようにして登っていた氷は、あっけなく水中に転がり落ちる。 それでも、水の何滴かは自らもその一部となって氷に援軍する。 氷は再び水ののど元まで迫っていく。 しかし、氷は水よりも高く昇ることはできない。 【百尋滝にて】 (06.1.15) |
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ご ほ う び |
今まで使っていたデジカメの調子がおかしくなっていた。 年末に、自分へのごほうびとして12倍ズームのデジカメを買った。 とにかく何か写したい。 チャンスもないまま新年になってしまったが、やっと時間がとれて鷹巣山に登った。 スゴイ、雲取山の避難小屋がすぐそこに見えた。 (06.1.8) |
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初 登 り |
荒幡の富士(所沢市)、標高119.1m 起工は1884(明治17)年 荒幡村富士講信仰の富士塚 村内・村外の氏子・信者・有志が営々として築きあげ、15年後の1899(明治32)年に竣工した。 山頂からは都心のビル群はもとより、奥多摩の山並から富士山まで望むことができる。 ※所沢市教育委員会の案内板より一部抜粋 事情で、今年の初登りは荒幡の富士となった。 子どもの頃、幾分かの揶揄を込めて「荒幡のどろっぷじ」などと呼んでいたことを思い出す。 (06.1.1) |
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これ以前のデータは「山のアルバムバックナンバー1」に保存してあります。 |