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山のアルバム バックナンバー 1



心に残った光景、季節の様子など、登山中のひとこまを載せています。
2010.1.3から2010.12.26のデータを保存してあります。

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これ以降のデータは「山のアルバム バックナンバー6」に掲載しています。








日の出山に滝本から登る。
寝不足のせいもあったのかも知れないが、妙に息が切れる。もう山には登れないのではないかと感じてしまうくらいだ。
呼吸がきついので、ゆっくりゆっくり足を進める。手術前の鷹巣山山行を思い出して少し不安になる。それでも歩みを止めなければ山頂には到達する。

麻生山に至る稜線から滝本に向けての斜面が大規模に伐採されている(写真下)。おかげで山頂にたたなくとも都心方面の好展望が得られる。今日は冷え込んだ空気のせいで遠くまで見渡せた。
だいぶ見飽きた感じのするスカイツリーが、手前右下の田無タワーと親子のように並んでいた(写真上)。
(10.12.26)







足慣らしを兼ねて大菩薩嶺に登る。
先日陣馬形山から見た南アルプスを反対側から望むことになった。
裏は表の裏? 表は裏の裏?
どちらが表か裏かわからないが、どこから見ても南アルプスは雄大だ。

この日、同行の士のPLフィルターを借り、デジカメに被せて写真を撮る。
見た目以上にアルプスの姿が見た際だって見えた。
(10.12.6)








3週間ほど前に膝を痛めてドクターストップがかかった。近頃では痛みはかなり軽減したが、まだ油断はできない。
歩けない、でも山には行きたい。歩かずに行ける山はないかとネットで探す。そんな都合のいい山が見つかった。
上伊那郡中川村にある陣馬形山。山頂直下まで車で行き、わずか200メートルも歩けば山頂だ。これなら膝への負担もほとんどない。

山頂からの眺望は予想以上のものだった。
西を望めば、中央アルプスが伊那谷から3000メートルの高さにまでせり上がっている(写真上)。陣馬形山の足下に目を落とせば、天竜川がうねっているのが見える。
東の山々の向こうには、南アルプスの山並が北から南まで次々と連なっている(写真下はその一部。左から仙丈岳・北岳・間ノ岳)。
風もなく、12月としては暖かな日よりだったのが幸いして、山頂からの展望を心いくまで味わうことができた。
(10.12.1)







赤城山の南麓に飛び出しているピーク、鍋割山に登る。
ここからは関東平野が一望の下に望める。遠くには利根川が光の帯となってうねり、近くには前橋の市街が広がっている。
この日は西高東低の気圧配置となり、上越国境から張り出した雲がひさしのように赤城山上空まで及んでいた。
(10.11.10)









旧碓氷峠から鼻曲山に向かう。
まず最初に取り付くのがこの一ノ字山。
峠から20分も登ると山道は平らになり、広葉樹の林が1キロあまりにわたって延々と続く。いわゆる平らな「山頂」を持つ山だ。
同様の山としては荒船山や苗場山がある。どちらも遠景から確認できるが、ここは歩いてみて初めてその実態を知った。
なるほど、山名からしてその体を表している。
それでも最高地点とする所に、申し訳程度に標識がぶら下がっていた(写真中右下)。
(10.11.5)









何年も前にこのあたりで見かけた紅葉(「山のアルバム BN5」 04.10.24)、それが見たくて今年もまたやって来た。

川苔山から日向沢の峰に向かって大きく弧を描いている稜線、そのどのあたりであったのかは覚束ない。ただ画像だけは残っている(「山の壁紙」参照)。
あれから何度もここに来たが、なかなか同様の景色を拝めない。訪れるタイミングが悪いのか、あの年がたんに紅葉の当たり年だったというだけのことなのか……。
もしかすると、画像にしたときのコントラストが良好に働いたために実現した光景であり、あれは自分の記憶の中で作り上げた幻だったのではないかとさえ思ってしまう。

今年はこれくらいの画像しか得られなかったが、来年以降また何度でも来てみよう。しつこいのだけが自分の取り柄だから。
後方の山は川苔山。
(10.11.2)
※関連記事「山の花」










石尾根の紅葉を眺めながら雲取山に向かう。
紅葉前線はすでに稜線から下りてしまったようだ。尾根道では葉よりも枝が目立っていた。
足下では霜柱さえ見られた。
(10.10.27)
※関連記事「山の花」









木曽山脈の宝剣岳・木曽駒ヶ岳に登る。
晴天になる日を長くねらっていたかいがあり、ドンピシャの展望が得られた。
東には南アルプスの峰々が連なる(写真上)。北端の甲斐駒ヶ岳から南部の聖岳にかけて、2回に分けて縦走したことを思い出す。
宝剣岳の南方には、檜尾岳から空木岳・南駒ヶ岳への尾根が連なっている(写真下)。ここもかつて歩き通した。
今ではかなわぬ、どちらも遠い過去の縦走である。
(10.10.18)







高川山のビッキーが死んだという知らせが届いた。
慌ててネットで検索してみる。
山梨日々新聞のWEB版(2010.10.9)に詳しい記事が載っていた(以下参照)。
http://www.sannichi.co.jp/local/news/2010/10/09/4.html
今月の6日に登山者により山頂付近で発見されたという。

僕も3回ほど彼女(雌犬だったと思う。)に会った。
初めての時は偶然。後の2回は、会うのが目的の半分だった。
ビッキーに会ってから高川山は他の山とは違う意味あいを持ち始めた。

人は自然に出会うために山に登るが、他者との出会いがあってこそ自然への憧憬も強まるのではないか。たとえそれが動物であったとしても……。
ビッキーのいない高川山には、当分空しい気持ちなしには登れないだろう。

写真は昨年11月28日のビッキー(高川山山頂にて)。
(10.10.10)

※山梨日日新聞のWEB版は公開期限が過ぎたため、朝日新聞asahi.comのMY TAWN山梨を掲載します(以下参照)。
http://mytown.asahi.com/areanews/yamanashi/TKY201010080513.html










頭に「天」を頂く山名としては、天目山の他に奥多摩には天祖山がある。どちらも山形が天に向けて突き出しているように見える。
天目山は「三ッドッケ」とも呼ばれる。尻尾に「ドッケ」のつく山には「芋ノ木ドッケ」がある。「ドッケ」とは山のように盛り上がっていることを示しているようだ。
三ドッケとは、その名の通り三つのピークを持つ山だ。南と中の峰を結ぶルートから分岐して北峰に至る踏み跡がある。その近くの岩棚からは、遠くに秩父の市街地が望める。
(10.10.7)
※関連記事「山の花」





小楢山に至るルート途中にある的岩。
なるほど弓矢の的に見えないこともない。でも、これだけ大きければ那須与一でなくても矢は確実に当たりそうだ。
「的と言うよりは卓球のラケットだ」、「いや、巨人の右足の靴底だ」という者ありで、しばらく盛り上がった。
(10.10.2)






京湾に反射する日の光を受けて、ヨコハマがシルエットになって浮かび上がる。
秋の長雨。その谷間の一日、日の出山に登る。時間はまだ9時にもなっていない。
ヨコハマは昨夜の喧噪の余韻を沈殿させ、まだ静かに横たわっている。
日の出山より。
(10.9.29)







長かった夏も終わったと思ったら、もう秋も終わりになったのではないかと感じられるような気候になった。そして、明日からは秋の長雨に突入しそうなこの日、鷹巣山に登る。
じっとしていると肌寒さも感じる。浮かぶ雲も秋の装いだ。
夏の間は遠景の展望もままならなかったが、スカイツリーやランドマークタワーも眺めることができた。
昨日、富士山が冠雪したという。山頂付近が何となく白く見えたのは目の錯覚だったのか。
帰ってから、画像を拡大したら白い色が確認できた。やはり雪であったのか……。
(10.9.26)









赤城山とは関越道を東西に挟む榛名山に登った。
榛名山と一口に言っても、赤城山と同様にいくつもの峰からできている。今回はそのうちの最高峰掃部岳(かもんがたけ)と、2番目に高い相馬山を歩く。
いわば山の「はしご」である。ダジャレではないが、双方とも階段とはしご段が印象深い。

掃部岳は榛名湖の湖畔の国民宿舎そばから取り付く。
硯岩から榛名湖を鳥瞰した後、掃部岳の登りにかかる。
しかし、わずか1キロに満たない程度のこの登りがきつい。山頂近くのわずかな距離を除くと全てが木の階段(写真上)。
山頂近くで普通の登山道になって、妙に嬉しかった。

相馬山は、これとは反対に岩と鎖、鉄のはしご段という急登。
信仰の山らしく、途中にたくさんの鳥居(写真下)がかけられている。
山頂には社もあり、石仏も大きなものが3体立っている。
山頂はどちらも南に開けていたが、多湿の大気に阻まれて展望はイマイチだった。

しかし山よりもなによりも最大の感動は、相馬山の山頂で出会った京都から来たという男性。お年を伺えば74歳というが、とてもそんなふうには見えない。
本当は谷川に行く予定だったが天候に恵まれず、昨日は掃部岳・黒檜山に登って来たという。
思わず「定年後の趣味ですか?」と聞いたが、なんと現役。明日は仕事だという。
京都から車を運転して来て3山を歩き、再び車を運転して京都まで帰る。しかも翌日は仕事というハードな行程。それを難なくこなす74歳。いやー、恐れ入った。

先日は縁があって老人介護の現場に行ったが、その時の風景とは何という落差。人さまざまとはいうものの、できればあやかりたいことではある。
そういえば、今週のはじめは敬老の日。日本の高齢者、元気にいこうぜ!
(10.9.21)
※関連記事「山の花」












上州の名峰赤城山、その最高峰黒檜山(くろびやま)に登る。
山頂からの展望はよろしくない。東と北にわずかに開けているが、本命の西と南は木立がじゃましていて望むことができない。期待していただけにがっかりだった。
……が、大沼(おの)への分岐を過ぎて駒ヶ岳に向かって歩を進めると、1・2分で「黒檜山大神」が奉られている祠のある地に着く。
ここからの展望はまさに壮観。東に筑波山、関東平野を飛び越えて丹沢山塊・奥多摩・奥秩父野山並み、遠くに南アルプス、八ヶ岳・浅間山等々、圧巻である。夏でこの程度なのだから、秋・冬の空気の澄んだ頃にはもっと素敵な展望が得られることだろう。
ここで、ふる里の山雲取山はどこかということが同行の士と話題になった。
小沼(この)の上に富士山が見える(写真上)。私見では富士山の左にあるピークが雲取山なのだが、異見も出た。再度展望のいい時に登って確かめたい。その時は地図も持ってこよう。次回までの宿題だ。

下の写真は猫岩。登っている途中では何のことか分からない。こうして下から見上げた時にその由来が分かる。
どうだろう、猫に見えるだろうか? 猫に見えたとして、どこが頭でどこが胴体か。それとも全体が猫の顔か……。
見る人それぞれで、そのイメージは異なる。

雲取山と猫、まだまだ楽しみの余地は残っている。
(10.9.7)










追悼登山などというつもりはなかった。線香一本持って来なかった。
ただ、きみが好んで歩いていた山、そして僕も一時期だが足繁く通っていた山に行ってみたくなった。その頃僕はマイナールートにはまっていた。
写真は唐松尾山の北尾根の入り口。一般の登山者が入らないように簡単なサクが設けられている。きみは何度ここを越えて北尾根に向かったのだろうか。
今回、きみはもうひとつ西にあるピーク、黒槐ノ頭から通り尾根に入ったという。県界になっている稜線から北は僕には未知の世界だが、もしかするとここに抜け出てくるつもりでいたのだろうか。全ては推測に過ぎない。

このサクから数分北に行ったところに大岩がある。南を除く三方が開けていて展望がいい。この大岩のこともきみから教えてもらった。HPトップに載せた西御殿岩の写真はここから撮ったもの。

下山時両足がつった。最近ヤワな登山しかしてないから、この程度の山歩きでもトラブルをおこしてしまうのかもしれない。
どこかできみが嗤っているような気がした。
(10.9.2)








連日30度以上の猛暑が続いている。
白谷沢沿いは爽快だったが、棒ノ嶺山頂は9時になったばかりだというのに照りつける日差しが痛い。
先日雨宿りのひさしとなっていた山頂の桜の木は、今日は厳しい日差しを遮る日傘となって登山者を迎えてくれることだろう。
(10.8.29)
※関連記事「山の花」









多摩川の最初の一滴が流れ出るところ、水干。笠取山の南面にある。
ここが水干であることを示す標識は登山道の山側にある。
実際に水が流れ出ているところは登山道から60メートルほど下がった所。
写真は水干沢という沢の最上部。登山道から「水干」の標識を背にして谷側を写したもの。
木や草に覆われた緑のじょうご。その中心から湧き出した水が源流となっている。
(10.8.22)
※関連記事「山の花」

宿




本当は天目山に行くつもりだった。予報に反して雲ゆきが怪しい。
方向転換して棒ノ嶺に行くことにした。しかし、ここもパラパラとだが雨が降ってきた。
山頂の桜の木は、東屋に入りきれない登山者の絶好の雨よけになっていた。
(10.8.13)
※関連記事「山のアルバム」







八ヶ岳の東に位置する天狗山に登ると、川上村の畑が足下に広がる。白く広がっているのは畑を覆うビニールシート。
ここはレタスを中心と売る高原野菜の供給基地だ。
「耕して天に至る」という言葉がある。段々畑や棚田を賞賛するときによく用いられるが、ここの畑もなかなかのもの。まるで白いアメーバーが山を食い尽くそうとしているかのようだ。
(10.8.8)
※関連記事「山の花」







夏、あまり石尾根を歩きたいとは思わない。防火帯で日差しを遮るものはないし、小虫も多いからだ。
この日、久々に鷹巣山に登った。日差しは相変わらず強かったが、湿度は低く、風もあってしのぎやすい。富士山も雲の彼方に頭をのぞかせている。空も高く、雲も秋のものだ。
そういえば、今日は立秋だった。
(10.8.7)














湯ノ沢峠のお花畑を歩く。
近年の鹿害(?)で、めっきり種類が減ったとはいえ、まだまだ花は多い。
グンナイフウロ・クガイソウ・シモツケソウ・キバナノヤマオダマキ・サワギク・コバギボウシ・キリンソウ・ハハコグサ・ヒヨドリバナ・コウリンカ・ウスユキソウ・コウゾリナ・ショウマの仲間等々。珍しいもの、それほどでもないもの取り混ぜて咲いている。
これも近年の傾向か。踏み荒らし、盗掘などの人害(?)のため、ロープを張って人が踏み込むことを禁じている(写真上)。まさに「人の道」を示しているようだ。
いっぽう大蔵高丸の山頂では、アキアカネが草の穂先にとまって自分たちの進むべき道を示していた(写真下)。
(10.7.24)
※関連記事「山の花」






どんどんべい峠に車を停めて、釈迦ヶ岳に登る。
ほとんど登山と言えるほどの登りのないルートだ。しかし、その展望は予想外のものだった。
遠くは北アルプス(槍・穂高連峰)から、近くは富士山とその北衛の山々。西に南アルプスの全景が広がり、北には八ヶ岳から大菩薩連嶺に至る長大な山並み(写真)が望める。まさに360度の展望だった。
天候も幸いしていたのかもしれない。梅雨明けのこの時季、これだけの眺望を得られたのは幸運だった。思わず山頂に鎮座しているお地蔵さんに手を合わせたくなった。
(10.7.19)
※関連記事「山の花




湿




大阿原湿原は入笠山のおまけのように考えられがちだが、なかなかどうして見応えがある。草原に移行しつつあるような湿原で、広々とした山上の風景が楽しめる。
この日は、季節の変わり目のためか花はあまり見られなかったが、一周約2キロメートルの遊歩道(木道)を写真を撮りながら散策した。
以前来た時には、湿原南側の木道が朽ちていて板を踏み抜きそうになっこともある。しかし、周囲の木道はずいぶんと再整備され、そんな不安は全くなくなった。また、駐車場から湿原途中までは車いすでそのまま行けるよう、バリアフリー化がなされていた。時代の要請なのであろうが、良いことである。
(10.6.11)
※関連記事「山のアルバム」












10日あまり前、雪をかぶっているのが見えた金峰山(前項参照)に瑞牆山荘方面から登る。
12年前の大晦日、奥多摩に抜ける予定でここから入山したことがある(その時は雁坂峠で中断したが……)。思い出深いルートである。
針葉樹林帯の長い登りを経て砂払の頭に至る。ここからは森林限界を超えハイマツ帯となる。
岩の露出した痩せ尾根(写真上)をたどると、前方に見慣れぬ巨岩(写真下)がそびえている。五丈岩しかないが、あんな形をしていたかどうか覚束ない。見慣れている、正面(北側?)からの四角張った形ではない。、まるでじゃんけんの「グー」を出しているみたいだ。
北側に回り込んで改めてそれと堪忍する。「丸い豆腐も切りよで四角」?……ちょっと違うか。
足下の岩陰には、先日の積雪(前項参照)の名残があちこちにあった。
(10.5.27)
※関連記事「山の花」








新横手峠に車を停め、お手軽登山で鶏冠山と黒川山に行く。登山と書いたが、登るというよりは歩くとした方がピッタリする。大きな起伏のない山歩きだ。
鶏冠山から望むピラミダスな大菩薩嶺も迫力があるが、黒川山の見晴台(岩頭)からの360度の展望は更にすばらしい。大菩薩嶺・富士は言うにおよばす、奥多摩から奥秩父山系の山々、近くは一ノ瀬・三窪高原が眼下に見下ろせる。三窪高原の彼方には南アルプスの山並みが白い頭を見せている(写真は左から赤石岳・荒川岳)。五丈岩を頂く金峰山の肩にも白い固まりが張り付いていた。先日都内で降った雨が、山頂付近では雪だったのであろう。
※関連記事「山のアルバム バックナンバー」(09.6.20「黒川山」)
(10.5.16)













鷹巣山を目指して稲村尾根を登る。
新緑の巳ノ戸沢を離れ尾根に取り付く。木々の緑を眺めながらだと、急登のきつさもいくぶん和らぐ。
しかし、初めのうちは緑があふれていた尾根筋も、登るにつれて次第にその色を失ってくる(写真上)。
山頂近くになると、ほとんどの木々は裸になり、まるで季節が一ヶ月以上遡ってしまったようだ。
山頂の心地よい風と暖かい日差しを堪能した後、腰を上げて下山にとりかかる。
帰りは石尾根をたどる(写真下)。
今度は登りと反対だ。高度を下げるに従って緑が濃さを増してくる。
遡った時間の流れをもとに戻していくように。
(10.5.8)







刈寄山から醍醐丸に至る吊り尾根を歩く。
上り下りの尾根道のきつさも、新緑を眺めながらとあればかえって心地よい。
霧のように柔らかな薄緑が、心の中まで満ちてくるようだ。
(10.5.1)







の桜の開花に目を奪われているうちに、裾野では春が躍っていた。
白谷沢から仰ぎ見る棒ノ嶺方面。
(10.4.25)
※関連記事「山の花」

















戸倉三山を友人と歩く。
春山だが、まだ新緑も少なく見通しもきく。桜もまだ見頃を終えたわけではない。この日は平年よりも気温が高かったとはいえ、山では吹き渡る風に心地よさを覚える程度。上り下りの繰り返しさえいとわなければ快適な山歩きだ。
登り口の今熊神社のミツバツツジはすで見頃を終えていた。昨年に続きまたしても盛りを見逃してしまった。
今熊山の山頂、刈寄山の山頂とも、北や東方面の見晴らしがよい。
戸倉三山を歩いたのはもう20年近く前だから、その頃からこんなに展望がきいていたか記憶にない。ただアップダウンの多さに閉口した覚えだけがある。
三山のうち、市道山の山頂からの展望が、東京方面へはもっとも開けているだろう。
この日は平日にもかかわらず、すでに先客がいた。トレイルランニングのランナー数人とも行き交わした。そういえば、ここは長谷川恒夫杯・山岳耐久レースのコースと半ば重なっている。。
うっすらと霞んでいた遠くの風景も、ここに至ってようやくはっきりしてきた。新宿の副都心も遙かに望める。西武ドームは手が届きそうだ。
副都心から左に視線を振ると、そこに見たこともないような物体があった(写真上)。新宿のビル群より遙かに高く、天に向かって伸びている。都心の悪を一心に吐き出そうとしている虚構の煙突のようだ。
東京スカイツリー以外にない、こんな高いものは。
市道山でゆっくりと展望を楽しんだあと、臼杵山に向かう。登山道はまた上り下りが続く。
臼杵山は戸倉三山の中では一番高い山だ。標高842mある。
山頂を過ぎてしばらく行くと祠がある。地図上に「臼杵神社」と書いてあるものだろうか。それにしては小さい。
祠の両脇には狛犬が奉られている(写真下)。左のものは欠けて頭を落としている。それでも双方が「阿吽」の表情をしているのがけなげだ。
手前には新しいキツネの像もある。こちらは比較的新しいもののようだが、狛犬の方はかなり古い。大きく裂けた口元は、犬というよりオオカミを連想させる。ニホンオオカミをかたどったものだろうか。
臼杵山を過ぎればあとはほとんど下り坂。やっとアップダウンの繰り返しからも解放される。

スカイツリーも狛犬も、どちらも人間が作ったもの。
自然の中に分け入って、皮肉にも人工物が印象に残った山歩きだった。
(10.4.21)
※関連記事「山の花」








パノラマ台では木々の枝越しにしか眺められなかった南アルプス。
ここ石割山からは、ついにその全貌を望むことができた。眼前に遮るものひとつなく横たわっている。
そして、その左側には富士山が雄大な裾野を広げて立ち上がっていた。
(10.4.14)









甲州高尾山の稜線上に位置する棚横手周辺では、ここ数年のうちに4回も山火事に見舞われている。
93・97・07・09年の各年、いずれも4月と3月に発生している。雪も降らなくなって草木がもっとも乾燥する季節だが、山菜が萌え出づる季節でもある。山菜取りとの関連も否定しにくいであろう。
昨年、甲州高尾山に登ろうと当地を訪れたが、山火事が発生していて断念したことがある(「山のアルバム」09.4.12参照)。偶然だが、今回再挑戦した日の前年翌日だった。
山火事は忌むべきものだが、いっぽうで植生の更新を図り、展望も良くしてくれている。現にここ棚横手から甲州高尾山に至る稜線は展望もきき、皮肉にも、山菜となる新芽が生育しやすそうな環境になっている。
(10.4.11)









精進湖と本栖湖側の間にあるパノラマ台に登る。本栖湖側から上がると、途中烏帽子岳というピークを過ぎる。
「パノラマ台」という名称は今風だが、もとからそんな名前ではないだろう。
烏帽子岳もそうだが、南面の木立が切り払われている。
想像だが、富士の眺めを良くするために木立を伐採したとき、この名称に変えたのではないか。
パノラマ台より一段低い烏帽子岳は存在価値を薄めたため、旧来の名称が残ったのかもしれない。
ことの真偽はともかく、樹海の先に広がる富士の眺めは確かに良い。
これで南アルプスの全貌が望めれば言うことはないのだが、パノラマ台からは一部しか見られない。
烏帽子岳からは南アルプスの全体が見渡せるのだがか、残念ながら木の間越しである(写真)。
勝手を言わせてもらえば、パノラマ台は富士、烏帽子岳は南アルプスと、展望を住み分けてくれたら良かったのにと思う。
(10.3.30)










陣馬山に登る。
影信山からの同じような写真を載せたことがある。それは2月だったように思う。
今回、この時季にしては鮮明な東京湾が望めた。前日吹き荒れた大風でスモックが一掃され、澄んだ空気に入れ替わったせいだろう。
東京湾ばかりでなく、南アルプスや筑波山も遠望できた。
(10.3.22)






高川山にビッキーに会いに行く。今年初めてだ。
いつものことだが、餌の好き嫌いがあるようで、好みのものでないと少し鼻面を近づけただけで向こうに行ってしまう。
写真を撮ろうとするときも同じ。こちらが懸命に呼びかけてもいっこうに興味のない様子でそっぽを向いていることが多い。
ビッキーを求めてたくさんの登山者が到来するようでは、いちいち愛想を振りまいてはいられないのだろう。
(10.3.14)
※写真の上にカーソルを載せてみてください。











友人と雪の鷹巣山に登る。踏み後はあったものの、峰谷奥から2時間以上かかった。
やはり体力の衰えを感じざるを得ない。
湿雪だったようで、木々もしっかりと雪をまとっている。空の青がまぶしい。
風も少なく、山頂でもゆとりを持って過ごせた。青と白のツートーンカラーを眺めながら。
(10.2.20)







レーンが無粋だが、富山湾のはるか上にそびえる剣・立山が見えるであろうか。
海の上に連なる立山連峰が見たくて富山に来たのはこれで2回目。いずれも天候に恵まれず、くっきりとした展望は得られてない。
「弁当忘れても、傘忘れるな」と言われる北陸地方の天気。変わりやすいことのたとえと言えばそれまでだが、直前まで駄目だとあきらめていたら忽然として姿を現してくれた。逆もまたあるのだろうし、これでもましなほうかもしれない。
しかし、いつかは鮮明な映像を撮りたいものである。
(10.1.24)







退院後の足慣らしに、御岳ケーブルを使って日の出山に登る。
この日、前日までの寒気が遠ざかり、日中は暖かな日和となった。しかし山中の気温まだは低く、日差しのある山頂に至って初めてその恩恵に浴した。
下山もケーブルカーを利用。
なんと、この車両の乗務員さんは女性だった。これまで何回もケーブルカーを利用しているが、女性乗務員さんは今回か初めて。聞けば、もう3年も乗務しているという。ということは、前の型の車両にも乗務していたことになる。今まで一度も乗り合わせなかったことが不思議なくらいだ。
この日は、退職を控えた最終の乗務だとのこと。
登山の再々出発に、ラストランの乗務員さんに乗り合わせたこともなにかのご縁であろう。
(10.1.19)
※関連記事「山のアルバムBN3」(08.11.30)(08.2.8)・「山の花BN2」(10.1.19)」







師走に入り、急遽入院が決まった。
幸い病棟にパソコンを持ち込めたので、年末から山のサイトを眺めて日々を過ごす。
年が明け外出は許可されたので、近場の山、港区の愛宕山に出かけた。
山とはいっても、標高26mにも満たない丘のようなところ。山頂には愛宕神社がある。
神社に至る男坂といわれる石段は急である。
伝えによると、江戸時代の武将、曲垣平九郎は馬でこの石段を駆け上り、山頂の梅の花を徳川家光に差し出したとか。
一般的に、山は登るのはたやすい。しかし下山のことを考えないと進退窮まることがある。
曲垣平九郎はどのようにしてこの階段を馬で駆け下りたのか。
閑話休題。
江戸時代、ここに立つと江戸の市中が見渡せたという(当時の山頂からの光景を伝える写真があったので、リンクしてみてください)。
http://inforyoma.com/bakumatu/edo-kakudai.htm
しかし今では高層ビルが林立し、展望など望むべくもない。
周辺はモダンなたたずまいの街になっているが、それでもここだけは往時の面影をとどめている。時代のエアポケットのように。
(10.1.3)



これ以前のデータは「山のアルバム バックナンバー4」に保存してあります。


               


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